何か記録して思う出来事や印象に残った記事などがあったときに,書く日記です.できるだけ毎日書こうと思っていますが,そのときの忙しさなどなどによって変わると思います.

2011年3月26日土曜日

卒業式

昨日は,卒業式.大学全体での卒業式は中止になってしまったけれども,学部での卒業式は無事に開催された.長い期間,大学で勉強をしてきた学生にとっては,区切りとなる大事な行事のひとつだと思うので,状況が許される限りは開催されたほうがよいと思っていた.

ところで,大学の教員にとっては,せっかく知り合えた学生達が,毎年いなくなってしまうのは,本当に寂しいことである.


卒業式後、研究室にはOBの人たちがだいぶ訪れてくれ、ひさしびりに懐かしい人たちに会うことができた.


ニューシネマパラダイスという映画に、

I don't want to hear you talk any more.  I want to hear others talking about you.

というセリフを、映写技師のアルフレドがシシリアの町を出ていくトトにいうシーンがある
「つべこべ言うな.(もっと大きくなって、)他の人がお前のことを話しているのを聞きたい」というような意味である.その後、トト(サルバトーレ)は、有名な映画監督になり....という話である.
(http://www.imdb.com/title/tt0095765/quotes に、上のセリフを含む、memorable quotesがある.)

上のように有名になるのは大変だけれども(有名になることよりも、満足できる人生を歩んでほしいと思う)、卒業した学生達(もちろん過去の人たちも含めて)には社会で活躍してほしいと願っている.

2011年3月17日木曜日

地震の被害と心に留めておきたいこと

地震の被害は,僕に関連する中では,研究室の被害がもっとも大きかった.
大型LCDディスプレイが3台壊れ,本棚の上の棚が落下し,棚のガラスが割れた.
多くの本などが床に落下し,自分の机に到達するまでに,かなり整理を必要とした.
また,天井の壁が一部壊れ,窓ガラスは鍵をしていなかったので,一部開いていた.

しかし,東北の方々に比べれば,被害は微々たるものであって,ガソリンが買えなかったり,スーパーやコンビニに物がなかったりなどの少々の不便はあるけれども(福島第一原発の件などいくつかの不安要因はあるけれども),家があり3食食べれていることに感謝している.被害にあわれた方には,一刻も早く不便が解消されることを願っている.

我々に今すぐにできることは,義援金を送ることではないだろうか.銀行のホームページを見ると,義援金の振込先の情報を得ることができる.義援金詐欺の情報もあるけれども,銀行の情報は信頼できるのではないかと思う.メールで送られる情報には要注意だ.と書いていたら,みずほのシステムが,義援金の振込が多すぎたためか,停止したというニュースを見る.

地震の関係で,外国の友人や先生から数件のメールが届く.その中の一つに,Everybody says Japanese people are a resilient people.という文があった.

resilient とういのは,「立ち直りがはやい」とか「回復力がある」という意味である.第2次世界大戦で原爆を落とされ,あれだけの被害にあったにもかかわらず,経済的な復興を果たしたことなどから,そう言われたのだと思う.現在と戦後では,いろいろな状況の違いはあるけれども,戦後の多くの人々がresilientであったことを僕自身の心に留めて置きたいと思う.

2011年3月11日金曜日

東北・太平洋沿岸地震

今日の地震は,東京電機大学で研究会に参加している最中に起こった.
スクリーンが揺れだして,どうしたのだろうと多くの人が思っていたところに,揺れが始まり,講演は中断になり,研究会自体も中止になってしまった.建物の1階の窓ガラスが割れていた.さらに,2件となりのビルに大きな亀裂が入り,倒壊の危険性があるとのことで,ビルの近く行かないようにパイロンがおかれていた.

自宅まで,タクシーで帰ろうかと思ったけれども,とてもつかまりそうもなかったので,歩いて帰ることにする.神田駅の公衆電話には,恐ろしく長い行列ができていた.あきらめて,自宅へ向かう途中の細い路地に,公衆電話があり,比較的すぐにかけることができ,家族の無事を確認できた.大きな道路には,歩いて帰宅しようという人たちなのだろう,多くの人が歩いていた.後で地図を確認してみたら,少し大回りをしていたが,なんとか無事に帰ることができた.

携帯電話は,結局,全然つながらなかった.公衆電話は,優先度が高いのだろうか,すぐにつながった.帰宅後,skype経由で実家にかけてみようと思い,skypeにログインしたら,ソウルの友人からskype経由で大丈夫かという電話がはいる.心配してくれているのはありがたいことである.実家の固定電話へは,残念ながら,skype経由でもつながらなかった.インターネットが使えれば,skypeの通話は,災害時にも使えそうだ(もっとも,みんなが使いだしたらパンクするかもしれないが).しばらくしてから,携帯のメールがつながり,実家も無事だったことを知る(地震から20時すぎまで停電だったそうだが).

午前に発表した学生は,電車が止まってしまっているため,公共施設で1泊することになってしまったようだ.関東北部に帰省している学生もいるので,ちょっと心配である.
被害がこれ以上広がらないことを願うのみである.

2011年3月8日火曜日

サブウェイ

サンドイッチチェーン店のサブウェイが,マクドナルドを抜いて,世界一の店舗数になったというニュースを読む.アメリカにいたときに,マクドナルドよりも,サブウェイをよく見かけるなぁと思っていたけれども,それが数字として現れてきたのだと思う.

アメリカに滞在中(つい半年くらい前だけれども,もうずっと前のような気がする)に,よく通った.フットロング(の一部)が$5という価格だったので,よく利用した.MeatballやSpicy Italianなどなどおいしかった.もっとも,滞在の後半では,飽きてしまい,あまり行かなかったけれども,今になってみるとまた懐かしく感じる.

サブウェイのこのニュースで思い出すのは,ユタ滞在時の思い出である.